まちゅあドック - コミュ障ぼっちの社会冒険譚

重度コミュ障ながらも上流SEとして働く男の嘆息記です

ミスったのは入社先なのか、それとも今の時代に生まれてきたことなのか

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりぼっち日記へ

お久しぶりです。

前回の記事からはや2ヶ月弱が経過してしまいましたね…。

しかしまあ、こんな開店休業状態のブログでも、毎月1,000回を超えるアクセスがあるっていうんだから、はてなプラットフォームの集客力ってのは流石です。

 

私の近況ですが、最近はとにかく忙しすぎて、記事をポストするどころか、他ブログを見る余裕すらなくなって来ましたorz

 

業務時間+それに伴う拘束時間(通勤、準備など)を含めると、平日は7:30 - 24:30ぐらいを拘束されており、しかもそこから日常的な生活時間(食事、風呂など)を差っ引くと、普段は5時間ぐらいしか自由時間がないのです。

 

平日の5時間って言ったら、普通は翌日に備えて寝るだけですよね?!

加えて、私は長眠体質の持ち主なので、5時間程度の睡眠では疲労が全く取れません。

 

で、休日はそんな平日5日間に疲れ果てて、真っ白に燃え尽きて部屋に閉じこもるばかり…。*1

 

自己研鑽も、ブログ更新もとてもじゃないけどできる状況じゃないんです。

 

しかも、仕事*2は接客なり下請けさんの監督ばっかりで、自分で機器設定を弄ったりプログラムを書いたりすることもなく、全く張り合いがない…。

つーかコミュ障に接客とか下請けさんの調整とかはキツすぎです…。

 

しかも、社風は体育会系のアッパー系で、「仕事もプライベートも仲間と一緒に全力!!」とか「○○の分野では第一人者と呼ばれてます!!」とか「飲み会は最低でも二次会までは出るっしょ!!」とか「ロレックス!アルマーニ!!BMW!!」とか、そういう言葉が大好きな連中だらけです。

それでいて、頭脳の方もなかなかにキレッキレで、従業員同士で腹の探りあいをしてみたり、陰口を叩いたりする頭脳プレー(?)もかなりお盛んです。

 

こういう人間に限って、私のような人間を見るやいなや「もっと元気にならなきゃダメだよ、この先やってけないよ〜」「君は優しすぎる*3から、もっと割りきらないとねー」と説教を始めるか、無言のまま奇異の目で見てくるので、本当にやってられません。

 

何を言われようと、私は一人の時間が何よりも大切で、他者からの賞賛よりも内的な目標達成や満足感を優先し、何かと理由をつけて飲み会からの逃走を図り、6年前の大学入学時に両親から貰ったシチズン製腕時計と洋服の青山で買った激安スーツを身にまとい、8,000円の自転車と神奈川県の某私鉄(トロトロと走り、度々遅延することで有名)で出勤し、他人とのコミュニケーションでは誠実さ・実直さを重んじた単刀直入かつ直接的な手段を取りがちで、上述したような価値観に対してどうしても魅力を感じられないのです。

 

 

そして、こんなことを考えていると、私はつくづく入社する会社を間違えてしまったようだ…と思わざるを得ないのです。

 

 

給料が高かろうと、福利厚生が優れていようと、犯罪などを侵さずに出社さえしていれば懲戒解雇処分になることが殆ど無かろうと、自身の専門性と業務内容が被っていようと、そんなことは全く重要じゃ無かったのだな…と、学生時代の思慮の浅はかさに今更ながら気付かされました。

 

しかし、そうは言っても、組織というのはいかなるものでも構成員に外向性や一定のオーソドックスさを強く要求するものです。

 

例えば会社なら「他人様から金を分捕ってくる」という第一目標を果たすためには、他人とスムーズに接触できる人間を重用するのは必然でしょうし、公務員なら人民とのやり取りや、古臭く代わり映えのしない職場の人々との調和を考えて、一定以上のコミュ力と性格上のバランス感が適切な人間を採用するでしょう。

 

NPO法人や公的な研究機関だって、各々が掲げている大局的な目標を達成するためには集団の力が必要不可欠ということは当然把握していますし、当然他者と協調する能力は要求されるでしょう。特に研究機関ならば、学会や共同研究などもあるので、その傾向は更に強いはずです。

 

そうでなくても、グローバル化の波に晒されている日本の組織は、「交渉力こそがモノを言う」世界のルールに一刻も早く順応し、存続の危機を回避すべく、その傾向が一層強まっているというのに…。

 

こう考えると、元来から病的(障害的?)な域に達しつつあるシャイさと内向性を併せ持つ私が入るべき組織など、今の時代には存在しないのかも知れません。

 

つまり、「そもそもこの時代に生まれてきてしまったこと」そのものが間違えていたのではないか…と、最近は思えてきて仕方がないのです。

 

この苦悩を解決するための唯一の解は実にシンプルで、「自分自身の性質を変える」というものです*4

私と似たような考えに陥っていて、まだこの方法に思い至っていなかった方は、ぜひ試してみてください。

自分以外のものを変えるというのは極めて困難ですからね…。

 

(例として適切かは分かりませんが)テロリストだって、命を賭して気に食わないルールや思想などを変革してやろうと色々なことをしていますが、全世界における彼らの思想のウェイトというのは相変わらず極小のままです。

 

むろん、私もこのことには気がついていて、自分自身の性格を変えようと奮闘はしてきました。残念ながら、私の場合はすべて無駄に終わりましたが。

以前にお話したかも知れませんが、高校時代など「状況Aのときには、行動A-Eのいずれかを取る」といった状況別の応対パターンを用意し、それを虱潰しに試行したりもしました。

 

が、私の場合は「パターンをリストアップする能力」、「リストアップしたパターン通りの言動を取るする能力」の一方あるいは両方が元来から欠落しているらしく、すべてのパターンにおいて、相手方の反応は「現状よりもネガティブ」あるいは「現状維持」のものばかりで、結局成果はありませんでした。

 

なので、私は「自分自身の性質を変える」という唯一の解決法に手を伸ばすことも叶わず、現状としては今後も永遠と続くであろう(と、過去の経験上確信が持てる)疎外感に耐え続けているのです。

しかし、この対応だっていつまで持つのかは分かりません。というか、最近私の身体に現れている諸反応から察するに、限界はもう身近に迫りつつあるような気がしています。

 

こんな袋小路のことを考えていると、本当に生きるって辛いことだなとしみじみ思います。

私自身が潰れないためにも、とりあえずは目下のストレスを無くすことで延命を図りたいものですが…前述した時間的拘束の多さを考えると、中々に厳しいものです。

*1:しかも最近は夜勤やら飲み会やら宴会芸の準備やらで、週に1日しか休みが取れないというおまけ付き

*2:ご存知の通り、分野特化型のSEです

*3:「幼稚」の言い換え語です

*4:この解の亜種として、自分自身の価値観・認識を変えるというものもあります。私のように客観的事実をベースに物事を考える人間にとっては、事実の方に変化がない限りこの解法を使うことは出来ませんが、感情ベースで物事を考えられる方には有用だと思います